プログラム

シューベルト作曲
交響曲第7(8)番ロ短調『未完成』D.759
交響曲第8(9)番ハ長調『グレイト』D.944
いつもでも若々しいままのイメージだった、あのブリュッヘンもとうとう70歳!
18世紀オーケストラを率いていたブリュッヘンの指揮にお目にかかれるとあって、いそいそとサントリーホールへ。未完成は第1楽章をかなり遅いテンポで重々しく演奏が始まる。同じ曲であっても、テンポの緩急によってイメージが大きく変わるものだと改めて実感。演奏によっては、テンポひとつで聴くに堪えなくなるのだがブリュッヘンの振るかなりのゆっくりテンポでは、逆にあたらな発見をしたという思いが頭をよぎる。2楽章は聴きなれたテンポであったが、1楽章との比較から早めに感じた。未完成は自分のクラシック歴では1番古い曲である。(1番はじめに購入したレコードは、コロンビアレコードの廉価版、ハンス・ユルゲン・ワルター指揮ハンブルク放送管弦楽団の「運命」「未完成」だった。中学2年の時だった。)であるから、曲を聴くたびにあのころ自分の部屋としてつかっていた自宅屋上の部屋の様子が目に浮かぶ。ある時には、購入したころ雨模様の空気のなかで聴いた空気の匂いさえ思い出す。その頃から体にしみ込んだ未完成のテンポ、音色は自分の「未完成」判断の「ものさし」となっている。その未完成イメージが、あたらな発見によって新しいイメージへと昇華させられたかも知れない。
2曲目「グレイト」は、くしくも今年になってコンサートで3回目の曲となった。(昨年は合唱が3回あった)この曲では演奏時間を計ってみた。1楽章15:402楽章14:003楽章14:304楽章13:00。ただし4楽章では他の演奏と違い繰り返しがされていたので、単純な比較はできないであろう。プログラムでは、スコアには旧ブライトコプフ版、ベーレンライター版、ハウシルト校正の新ブライトコプフ版などあるとのこと。旧ブライトコプフ版以外第1楽章の冒頭を4拍子ではなく、2拍子で表記されているとの記述と聴いた演奏のテンポからどうも旧版ではなかったように思う。自分の持っている他の演奏は4楽章での繰り返しを行っていないので、旧版なのか・・・?今度調べてみよう。
さて、演奏は未完成とは違い全体的にテンポは早目で、特に4楽章は高齢で足元も危なげなブリュッヘンとは思えない激しさで演奏された。
N響、フランクフルト放送響と比較して、おやこんなところでホルンが・・・あれ、ここはチェロがピチカートだぁと新たな発見の連続であったとこともあるが、新日本フィルの音色や演奏は歯切れのよさが感じられ、ブリュッヘンの大きな手からしっかりと指示されるテンポを演奏に反映していた。そして最終章での激しいまでの演奏に、ブリュッヘンと新日フィルに聴衆の拍手はいつもより大きく鳴り響いていた。椅子に座ったまま指揮をし、歩く姿も決して若くはないのに、聴衆の度重なるカーテンコールにもブリュッヘンは誠実に応え、新日フィルをも讃えるブリュッヘンの姿に、その人間性も好感が持てた。
不思議と心が温まって帰れた演奏会であった。