プログラム

メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」
ブルックナー   交響曲第7番
イタリアはコンサートでは初めてだった。ブロムシュテットのイタリアは素晴らしかった。第1楽章の生き生きとした躍動感を、弦と八分音符を奏でる木管が艶やかに彩った。遅くも速くもなくあくまでも人間的な躍動感を感じさせる。自然と体が動いてしまうこの晴れやかなリズムを、演奏でじかに味わえたのは嬉しかった。2楽章は時に、炎天下老婆が歩く姿を連想させる演奏もあるが、あくまでもメロディーラインをしっかりと歌わせることで、のんびりとした田園風景を思わせる。3楽章では、あの大好きなメロディを、ゲヴァントハウスの重厚な弦の響きでたっぷり聞かせてもらった。4楽章は激しいリズムをオーケストラが一体となってコーダまで一気に突き進んだ。メンデルゾーンのゆかりのオーケストラであるがゆえに、演奏中メンデルゾーンもこの響きの中にいて指揮をしたのかなぁと感慨にふけった。
ブルックナーの7番については、矛盾することを書かねばならない。今日の演奏は素晴らしく、迫力のあるものであったという感想と、やっぱりブルックナーは好きになれないという感想だ。まず、この曲の編成だがサントリーホールのステージほぼ全域をオーケストラがひしめき合う大構成である。数えてみると第1、第2ヴァイオリンは8プルトヴィオラは6プルト、チェロ5プルトコンバスプルト、それに金管木管・・・さすがに大編成の音はすごい。和音自体が生き物のように動き回る。そこにワーグナー風の金管の響きが加わり、すさまじい大音響となって聴衆に襲い掛かってくる。確かに生で聴くブルックナーの音・響きはすばらしい。しかし、やはり自分はブルックナーの思わせぶりな、クレッシェンド、デクレッシェンドがすっきり入ってこない。きたぞきたぞと思わせて空振りにし、振出しへ戻して繰り返す・・・どうも気が短い自分はそのじらせかたが性に合わない。いつも、ブルックナーの苦手意識を克服しようと大指揮者のCDを買い、いろいろいろな指揮者を試すが、やはりそのくどい表現の前に挫折してしまう。吉田秀和ブルックナーは年をとるとそのよさがわかると『私の好きな曲』というような本でで書いていたが、どうもだめだ・・・今日は、生の演奏でその良さをわかろうとしたが、和音の美しさまでの理解までとなった。
どんなにいい話でも、くどいといけない・・・起承転結が明瞭であることを自分は好む。
ブルックナーが好きな人はそれはそれでいいんだ、卵焼きが嫌いなやつがいたっていいだろう。
みんな同じ趣味嗜好を持っているわけでもないし、ましてやブルックナーが嫌いだって、声高にいうやつは音楽好きとは言えないなんて思う方が間違っているって・・・だれか、一緒に思える人いないのか。
それでもブルックナー好きにならなくてはならないか・・・・うむむむ
だから、今日の演奏について矛盾した書き方しか出来ない。演奏は素晴らしかった。でもブルックナーはやっぱり好きじゃない。
演奏後、ブロムシュテットを讃える拍手は、オケの退場後も続きステージに再度呼び寄せるまで続いた。確かに素晴らしい演奏会であった。でも、この鳴り止まぬ拍手をする聴衆のうち、本当にブルックナーが好きで拍手している人は何人ぐらいかなぁと思いながら自分も拍手していた。