プログラム

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン(指揮)ヴァイオリン:古澤 巌
R.シュトラウス交響詩ドン・ファン
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン交響曲第5番「運命」
1曲目の「ドン・ファン」は、出だしからかなりアップテンポで、迫力のある響きが3階席まで響いてきた。そして、展開部のロマンティックなメロディでは一変してきれいなハーモニーを響かせるというめりはりのある演奏であった。ドン・ファンは初めて演奏会で聴いたがオーケストラの編成はかなり大がかりで、今まで聞いていたレコードでも迫力のある響きを聴いてきたが、なるほどとあらためて思った。
さて、今日の2曲目であるがはっきり言って、独奏者の演奏は満足のいくものではなかった。まず、ホール全体まで独奏ヴァイオリンの音が響いてこない。この曲自体「ヴァイオリン独奏のある交響曲」と言われるように大編成のものものしい曲であるが、その分ソロのヴァイオリンが響くように演奏しなくてはならないであろう。今まで演奏会で何回かこの曲を聴いてきたが、オーケストラの音に独奏ヴァイオリンの音色がかき消されていたと感じた演奏は無かった。そして、聞こえない分なおさら演奏にあらが目立ち、音程のズレもかなり感じた。1楽章が終わったあと演奏者がかなり長い時間チューニングし直していた。これは、自分の聴いている席が3階の音響的にはさほど恵まれていないということからくるのかは定かではない。NHKホールでも最上段の席でウィーン交響楽団チェコフィルを聴いてたいした演奏に聴こえなかった経験もある。そのことを斟酌しても、到底満足のいく演奏としては聴こえなかった。演奏後の拍手は、残念だがあまり力がこもっていないように思えた。中には声をかけて演奏者を讃えてる方もいたが、あの方の席ではすばらしく聴こえたのかなぁ・・と不思議に思った。
さて、この指揮者のプロフィールを見て驚いたことがある。この指揮者はアムステルダム・コンセルトヘボウ(現ロイヤル・コンセルトヘボウ)の有名なコンサートマスター、ヘルマン・クレバースの後任として若干19歳でコンマスになったという。かなりのヴァイオリンの名手なのである。そして、前任のクレバースこそ、我輩が初めて手にしたブラームスのヴァイオリン協奏曲のレコードの演奏者であった。その録音は最悪で、大きな音が割れてしまい、そのレコードを聴くことで、はじめブラームスのヴァイオリン協奏曲が好きではなかったのだ。そんな因果か・・・またしてもブラームスのこの曲にけちをつける羽目になってしまった。
さて、3曲目であるが、これはまさにこの指揮者がヴァイオリンの名手であるがゆえの演奏であったといえよう。それは演奏全体のすさまじく速いテンポに表れていた。名手であればこそ、ここまで早めても演奏可能であると考えたのではないかと思わせるスピードである。
そして、指揮する姿を見ていても弦楽器をあたかも自分でも演奏しているかのようで、アクセントや弓づかいも自然に演奏者たちに伝えるような指揮ぶりであった。
特に速く感じたのは1楽章と4楽章。1楽章では、まるで音の一連の流れ(メロディの流れとでも言うか・・)が重なるかのような印象すらあった。言い換えれば休符が無いまま演奏が続けられるような感じ・・・かな。いかし、それだからおかしく聴こえるのではなく「へぇ、そう指揮するんだ」と、新たな感触を楽しめるものだった。みつまめの寒天の中にいくつかナタデココが入っていて「おや・・へぇ・・」って感じとも言えるかな。
4楽章に入る前、3楽章でコントラバス・チェロが弾いて、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンと順に弾いていくところでは、よく弦がついていけているなあと感心し、そして最終楽章の必死で、これ以上の速さは無いぞとばかりにたたみこむコーダは、まさにすさまじいばかりであった。ただ、演奏全体を振り返ると「すごい速さで、熱気があったなぁ」という感想が主で、「深みのある、魂のこもった演奏」というイメージではなかった。
しかし、そういう演奏もいいのだ。「へぇ・・・そう演奏した。なるほど」これはこれで納得して会場を後にした。この指揮者のベートーヴェン7番、4楽章が聴いてみたいものだ。
面白い指揮者と出会えた・・・・
帰り京橋の「エクセルシオーレ」のいつもの席で読書。丸善で本を物色して、高島屋で「福砂屋のかすてら」を買って帰る。