落語「宿屋の仇討ち」&「粗忽の釘」

宿屋の仇討ちは、名作中の名作だと思っている。前日に騒がしい宿で散々な目にあった侍と、おしゃべり3人組の騒がしい河岸の若い衆の部屋が隣り合わせてしまう話だが、落ちがこりゃまたすごい!初めて聞いたときの衝撃は忘れられない。小三治志の輔を持っていたが、上方の米朝と7代目林家正蔵こぶ平の一代前)CDを見つけて聞いた。上方は江戸の河岸の若いものが神戸の若い衆になっていたり、大阪の宿になっていたりと設定の場も違うのだが、正蔵は語り自体が全く違っている。老齢の語りならではの可笑しさがあってこれもまた一味違って面白い。しかし、つくづく小三治の噺がうまくアレンジされて素晴らしいと感じた。「おい、芸者を3人ばかりとっつかめえてくれ、顔なんかどうでもいいんだ腕っこきのすげえの・・桂子、好江みてえな」この妙味が小三治の味だ。また、「粗忽の釘」を小さんのCDで聞き比べたが、これもなんともいえない、粗忽な主人公をまさに味わい深く表現している小三治に軍配だ。粗忽な大工が引越しをする騒動の顛末だが、釘の話は後半になっての話題。それが題名になっているのだから、この場面を如何に可笑しくするかが腕の見せ所。長い釘を隣まで突き抜けさせたのを確認しようと家を出る主人公、出会った隣人に「釘の先は出ていませんかね?」「何ですか突然、藪から棒ですね」「いえ、壁から釘なんです。今、長い瓦釘を壁に打ち付けちゃったんです。」「いや、出ていないでしょう」「いえいえ長いからきっと出ていますよ」「だってあなたお向かいに越しいらしたんでしょ。道を隔てているんだから出っこないですよ」「いや、あんた素人だからわからないんだよ、瓦釘ってのは六寸もあってね・・・」と、馬鹿馬鹿しいのだが、言葉のやり取りに、面白さがしっかり組み込まれている。落語もクラシックと同じで、作品をどう演奏するか、演じるかが指揮者と噺家の腕の見せ所なのだとつくづく思う。