ショスターコヴィッチ「革命」

昨日のマーラーの楽器編成に負けないぐらいの大編成であった。この曲は、ザンデルリンクN響、ホーネック&読響 佐渡都響で聴きそれぞれの持ち味に拍手を送ってきたが、今日の演奏はまた格別な演奏であった。それは、第1に自分の頭に刷り込まれいつもそれと比較をしながら聴いてしまうバーンスタインの演奏に通じるところがあったからかも知れない。テンポといい、迫力といい、まさに自分のイメージを再現しているかのような演奏に、心が踊った。それは、チョン・ミョンフンの模倣でも何でもない、この曲の対する解釈なのであろう。(バーンスタイン愛弟子の佐渡もすばらしかったが・・・)
この曲を聴く際、実に複雑な心境になる。旧ソ連の中で、異端視され粛清におびえていたショスターコヴィッチが、この曲をどう思って書いたかが気になるのである。党のお気に召すような作品を書く作曲者、そして奇しくもその曲が名曲になっている現実。そう思いながら聴くと、本当はこうは表現したくなかったのではないのではとか、様々な思いが浮んできてこの曲の本来のすばらしさとは何かを見失いそうになる。
しかし、この曲の激しさをこの曲を求めたプラウダに向けたエネルギーとして解せば、ただの激しさに聴こえないのが不思議なところである。
今日の演奏は、まさにその思いを表出していたと思った。特に1楽章、4楽章はすさまじい思いが伝わってきた。ブラボー
 そして、今日あらためて感じたのが、東京フィルを聴きにくる聴衆が演奏家に実に暖かい拍手を送ること。これは、ミョンフンの演奏家へ向ける愛情が聴衆にも伝わるからであろうが、演奏後、指揮者が送る演奏家への賛辞は実に暖かい。「君はすばらしいよ」と繰り返し演奏家を育て、すばらしいオーケストラにするミョンフンの懐の深さにはいつも脱帽である。