プログラム

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番
自分の席からはラン・ランのピアノを弾く表情と手の動きがしっかりと見える好位置である。なぜ、同じように鍵盤をたたいても我々とは違う音が出るのだろうか?それは、指の動きの巧みさではなく、たった1音であっても全く違う音色となるその不思議を、まさに目の前で感じた。ラン・ランのピアノは本当にすごかった。超絶なる技巧に支えられた安定した演奏とでもいうのか、難しいパッセージであろうと余裕で弾きこなし、その余裕の中でゆったりと自分の弾き方を楽しんでいるかのようだ。また、バックのフィラデルフィア菅の弦の安定感にも感嘆した。2列目で聴くと多かれ少なかれ1stヴァイオリンの中でも前後のプルトで、音の強弱や、テンポにすれが伝わるのだが、じっと目と耳を凝らせど寸部のずれも感じさせない。精巧な音楽家集団の精緻な演奏が、ランランのピアノを引き立て、それぞれのすばらしさが相乗的に心を打った。第1楽章冒頭のピアノの独奏を受けて、オーケストラが応え、双方が掛け合う部分でもう目頭が熱くなってしまった。出だし1分で、すでに心を鷲づかみされてしまった。そして2楽章の低音部を主体としたデモーニッシュな響きの中で、か弱く響くピアノのせつなさは絶品であった。最終楽章では、抑圧から解放された喜びを表現するかのようなピアノもオケのコラボレーションであり、それぞれのパートが持ち味を出し合いながら楽しんで演奏しているようであった。演奏が終わったとき、ホール全体から割れんばかりの歓声、拍手が沸き起こり、まさにこの演奏は歴史に残る名演と言っても過言ではなかろうと思った。ラン・ランの弾くピアノには心臓が動いている・・・本当にそう思った。ブラボー!!!!
マーラー 交響曲第5番
この曲は、マーラーの中でも1番好きな曲である。つい先だってニューヨークフィル、マゼール指揮で聞いたので、アメリカを代表するもうひとつのオケがどういう演奏を聴かせてくれるか比較してみたかった。
冒頭のファンファーレから、明らかにニューヨークフィルとは違うイメージをもった。ニューヨークフィルのサウンドはダイナミックに直球でズンっとこちらへ届く感じで、フィラデルフィアは直球でスゥーっと届く音と、周りへ放たれ一度拡散した音が反響しあって届く音が同時に届くような印象を受けた。なんかキラキラしているという表現になるのか・・・難しい。それぞれ聴き手が持つ印象があるのだろうし、曲によってもどちらがイメージに合うのかの判断も分かれるところだろう。マーラーの5番で言えば、4楽章のアダージェットはフィラデルフィア、5楽章はニューヨークかな・・と思いながら聴いていた。4楽章はやはり思ったとおりの出来栄えで、弦の繊細なタッチは圧巻であった。最終楽章ではエッシャエンバッハは、巧みにテンポに変化を加え変化球勝負できた。その変化にも一糸乱れぬオーケストラがよくついてきて、ふた味ぐらい面白い演奏を聴かせてくれた。そしてクリアなサウンドでキラキラ輝きながら最後のコーダを締めくくり、会場をうならせた!まさにフィラデルフィアの持ち味をうまく発揮させてのマーラー5番を聴かせてくれたと感じた。すごいすごい・・・・会場全体から歓声が上がり、拍手は鳴り止まなかった。
■雑感
ニューヨークフィルを聴きに行ったとき、演奏前にステージで練習している楽員が多いのに驚いた。「ああ、ヨーロッパと違うなあ、練習しているってことはまだ不十分なところがあるって聴衆に思われるのでは?アメリカ人はおおらかだな」と思った矢先、ひとたびコンサートマスターが入ってきたとたん、全員がびしっと決めた。「おお、これがアメリカのプロ根性!」と驚いた覚えがある。今日のフィラデルフィアも練習を多くの楽員がしていた。これはアメリカの楽団の慣習なのだろうか・・・こんど気にしてみてみよう。そして、今日新たな発見があった。フィラデルフィア管が演奏している最中、楽譜をめくる音が全くしないのである。これは演奏者として雑な音を立てないのは当たり前であろうが、以外に他のオーケストラでは音が出ていて前々から気になっていた。このいい音だけを聴衆に聴かせるという姿勢は、まことにあっぱれであった。そんな姿にも好感をもったのである。
フィラデルフィア菅ばんざーい!!!!実にいい日であった。