左手の話題

今日、仕事が終わって雑談の中でレオナルド・ダ・ヴィンチの手記の話がでた。(この展示会を行きそびれた〜しまった)レオナルドの文字は左手で書かれた鏡文字であるが、これは印刷するための版を作るために鏡文字にしていたという話である。おおぉ!知らなかった〜当時の印刷技術はどのようなものだったのだろうか?実際に、印刷されたのがあるのか?
 丁度、図書館よりラヴェルプロコフィエフブリテンの左手のための協奏曲集を借りてきている。前々から、なんでわざわざハンデを承知で左手のピアノ協奏曲を書いているのか疑問であった。しかし、理由がわかればなーんだとなる。要するに右手が使えないピアニストが作曲を委嘱したのである。その委嘱者は哲学者ヴィトゲンシュタインの兄 パウルヴィトゲンシュタイン。彼は第1次世界大戦で負傷して右手を失っていた。そもそもヴィトゲンシュタインの父はウィーンの鉄鋼王。その豊かな財産で当時活躍していた作曲家に委嘱したというのだ。ラヴェルプロコフィエフブリテンの他にも、ヒンデミットリヒャルト・シュトラウスもいたらしい。
 しかし、この委嘱者はプロコフィエフに対して次のような手紙を送ったとのことである。「協奏曲ありがとうございました。だが、わたしは一つの音符も理解できませんでした。したがって弾くことはないでしょう」・・・と、委嘱しておきながら、彼は演奏をしていない。ナンタルチアサンタルチア?真意はなんだろうか?いくら金を払って作曲させたとはいえ、この言い草はね〜
 このことについて、日本フィルの新聞で脳梗塞で右手の使えなくなってしまった舘野泉氏が「それは当時の耳で聴くと、音の使い方や調性の動かし方が目まぐるしく変化し、奇怪というかとらえようの無い音楽と思われたからではないでしょうか。」と語っているのをたまたま見つけた。その舘野泉が12月のはじめにこのプロコフィエフを弾くことになっている。
 ちなみにこの作品の初演は、プロコフィエフの死後、第2次世界大戦で右手を失ったピアニストによってベルリンで行われたとのこと。
 しかし、左手のためのピアノ協奏曲を弾くピアニストもすごいが、作曲するほうもすごい。ラヴェルの曲はヴィトゲンシュタインが初演を行っているので、難しさは丁度良かったのかもしれない。(初演まで3ヶ月間必死で練習したそうである)
左手だけでも協奏曲に出来るのはピアノだけかも。弦楽器ではありえないことだ・・・・そう考えると、なおすごい・・・・