ベルリンフィル♪

いいものはいいんだなぁ・・・まさにこの一言に尽きよう。席は2階L1列、最前列なので特上席である。皇太子も来られていたが、中央2階席であった。(我輩のほうがオーケストラに近い)
2階S席からステージを臨む

■プログラム
ベルリオーズ「海賊」序曲
ラベル「マ・メール・ロア
ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
 まず、ベルリンフィルに対する感想から記しておきたい。一流の演奏家ソリストとして活躍する場合が多いが、ソリストとしてはその個性を十分出すことが求められる。オーケストラで演奏する演奏家は、勿論実力も大切だが、指揮者の指示に従って様々な色に染まれることが求められるだろう。概ねかなりの実力であればソリストとして活躍していることが多いだろうが、ベルリンフィルは、全員が超一流の実力の持ち主に思えた。
 指揮者ラトルの指揮振りは、音楽を体全体で団員に伝えているように見えたが、ベルリンフィルの団員もまた、体全体で音楽を奏でていた。まるで、一人一人の団員が♪でオーケストラ全体が楽譜のようだった。
 ソリストとして活躍するよりも、オーケストラの一員としてソロでは表現できない極上の音楽を作り上げたいと思っている音楽家が集まっているのではないか。それがベルリンフィルなんだなぁと思った。
 さて、そして本日の演奏であるが、1曲目の「海賊」では、弦は超人的な指使いで、すさまじいテンポを悠々と弾きこなし全員が一糸乱れず演奏をしているのを見せ付けられ、一人一人の実力をこれでもかと言わんばかりに知らされた。このテンポをで全員がぴたりと揃うのはまさに神業ものであろう。金管木管もまたしかりである。音がいいだけではなく、寸部も違わない演奏であった。
 2曲目の「マ・メール・ロア」では、繊細で、今にもはじけそうな、まさにシャボン玉のような音を聴かせてくれた。迫力だけではなく、こんなにデリケートな音も表現できるぞということを知らされたような感じがした。
 そして、「英雄」。前夜の都響の素晴らしい演奏を耳にしていたのでと思っていたが、まったく違う次元の比較であると思い直した。都響都響の、ベルリンフィルベルリンフィルの「英雄」で、比較すること自体が無意味だと、演奏が始まってすぐに思った。
 最高のハヤシライスと、極上のカレーのどっちが好き?ってなもんで、答えは「どっちも大好き」だからである。あえて違いを言えば、都響は「まとまりの美しさ」ベルリンフィルは「スケールの大きさ、迫力」なのかもしれない。
 1楽章は、自分のものさしであるベームのテンポに近く、じつにみずみずしく、若々しい英雄の姿がイメージされた。まさに「かっこいい英雄」なのだ。ひとつあれ?と思ったのは繰り返しがあったこと。それにより演奏時間は16分を超えた。(ベームは14分半)繰り返して演奏するのはあまり聴いたことが無いので、この繰り返しについてはほかの指揮者も調べてみよう。
 そして、圧巻だったのは第2楽章。いや、すごい演奏だった。よく聴けば、この楽章は様々な表情を持っているのだと、あらためて思った。途中にはコラールを思わせるような壮大なメロディがありと、実に多様だ。この2楽章にこんなに惹かれたのは初めてであった。すばらしい2楽章だった。
 3楽章のスケルツォから、間髪入れず最終楽章へ。第4楽章では、大きなうねりを感じさせるように弦を演奏させたり急に曲を止めたり(これがまたぴたりと止まるのである)と、ラトルの個性が出ていた演奏だった。
 この英雄の演奏全体から、実にスケールの大きな、奥行きのある英雄像が感じられた。それも、ベルリンフィルのまさに実力あっての演奏だったからだろうと思う。
 昔、カラヤンが練習の際に、思いっきり速いテンポで演奏させたと言う話をきいたことがるが、今日、ベルリンフィルを聴いた後に、その話を思い出した。「今日の演奏うまくいったね」と、実力が最大限発揮できたのを喜んでいるレベルではなく、うまくいくためにそれ以上の実力を持ち合わせている、それがベルリンフィルなのかなぁと・・・
 また、ラトルは演奏後にわざわざ自分から演奏者に歩みより、褒めていた。見ているだけでも、ラトルの思いやりがぐっと伝わってきた。こうやって、ラトルはベルリンフィルの団員一人一人と心を通わせているのだと理解できた。これは学ぶべきことであろう。
 アンコールにはシベリウスの小曲が演奏された。今にも消えそうな弦の響きから始まるこの曲も、じつに美しかった。そんなすごい演奏を平然とできるベルリンフィルは、とても心に残った。一生ものの感動と興奮・・・36000円・・・安かった。