曲目

モーツアルト ピアノ協奏曲第26番「戴冠式
ピアノ;清水和音
マーラー 交響曲第5番

モーツアルトの26番は、一番好きなコンチェルトである。1楽章の不協和音は初めて聴いたカザドシュの演奏が間違っていると思い続けていた・・・さすがに他の演奏家も同じところで不協和音を鳴らすのを聴いてこれは間違いじゃないとわかったのだが・・・
今日のピアニストは、是非一度聴いてみたかった清水和音。最近山野楽器のCDでも、コンサートのチラシでもよく見かけていたからである。
第1楽章の出だしでは、軽やかな感じに「ほほぅ・・ゲルギエフもこんな軽業ができるのだ」と感心していた。長い序奏が終わり、ピアノの独奏となると清水のピアノの軽快さも快くじつに気持ちの良い演奏に満喫していたが、ふと気になったのは清水の右手で弾く単音。第1楽章の第1主題の旋律である。今まで聴きなれてきたのは音と音の間に余韻があり、音が自然に流れる演奏だったので、清水の音がどうも平板に聴こえてしまった。しかし、である。カデンツァでは実にすばらしい弾き方を披露。おお・・何たルチア サンタルチア。そこだけ切り取って額縁に入れてしまいたいくらいの見事なカデンツァであった。このメロディは今まで聴いたことのないもので、いったいだれの作曲のものか?知りたいものである。
2楽章では、実に柔らかなメロディが印象的であった。この辺が清水の持ち味なのだろうなぁと思いながら、終楽章。いや、実にアップテンポの3楽章であった。ゲルギエフも清水のピアノも生き生きとしていて、ぴちぴち跳ねる魚の如きみずみずしい3楽章を聴かせてくれた。

さて、マーラーの5番である。ここ最近ではマゼールニューヨーク・フィルエッシェンバッハフィラデルフィアで聴いていたが、ゲルギエフの5番やいかに・・・
実は、ゲルギエフチャイコフスキー4,5,6を聴いていた印象から、炎のごとく熱気に溢れるマーラーになるのだろうなと演奏前に、勝手にイメージを作っていた。
しかし、表現は似ていても決して熱気だけの演奏ではなかった。こんな感覚は始めてであったが、まるで別の曲のように感じたし、そして時には演奏自体がまるで生き物のように感じた。心臓がドキドキしながらサントリーホールのステージをうろうろ這い回っているような錯覚をした。特に1,2楽章はそんな不思議な感覚に浸っていた。
そして、3楽章はご承知のように明るいサーカス一座の様子のような曲想・・・これも、また人々があわただしく駆け回っているような実に写実的なイメージを与える演奏・・・
4楽章のアダージェットでは、ハープと弦だけで音楽の海原に、体も心も漂わせてくれるかのような感覚に浸ることが出来た。マーラーの5番には、こんなに様々な音の世界があったのだなぁとあらためてこの曲の魅力を感じた次第である。
そして、最終章・・・すごいすごい、ゲルギエフ演奏家や聴衆をぐいぐい引っ張っていくのではなく、引き寄せられる感覚・・・さすがに年間250人演奏を共にするマリンスキー歌劇場管弦楽団ならではの意気が感じられた。そして盛大な盛り上がりを見せ演奏が終わるや否や、会場から同時に10人はいたであろう「ブラボー」の声。拍手拍手・・・割れんばかりの拍手に、会場からはたまらず感極まってでる歓呼の声。あちこちで聴衆が立ち上がり、このすばらしい演奏に惜しみない拍手をおくった。ゲルギエフを8回以上ステージに呼んだのではないだろうか・・・この演奏のすばらしさを、周りの聴衆も共有していたんだなぁと実感。ため息の出るようなすばらしい演奏を聴くことができて幸せな夜であった。
ゲルギエフの音楽はすごい!