藤田嗣治

国立近代美術館へ藤田嗣治展へ行く。しかし、入り口で入場制限をしているのを見て諦めた。どうも、人がいっぱいだと落ち着いて見ることが出来ないからだ。入口で待ち合わせしていたMr.画伯と銀座へ。4丁目ライオンでビールを飲んでいい気分になって帰る。
今日の展覧会のために、図書館から藤田の伝記を読んだが、いろいろ面白いことがわかって面白かった。戦後は従軍画家であったことに対して誤解を生み、そのために日本を離れたようだが、近代美術館では時々見ていた「アッツ島の玉砕」には反戦的なイメージを強く持っていたので、その辺が理解できない。休日出勤していた分の代休を使って平日に行くことにしよう。

藤田嗣治「異邦人」の生涯 (講談社文庫)

藤田嗣治「異邦人」の生涯 (講談社文庫)

■読了
伊藤たかみ「ボギー、愛しているか」群像12月号
芥川賞受賞できなかった作品である。読みはじめて作品の設定に面白さを感じた。少年の頃の思い出がいつまでも抜けない30男。人を愛しきれない悲哀と、自分たちが見下していた友人が人を愛し尽くしたことへのコンプレックスの対比が綴られるが、最後までかみ合わないままで終わってしまったところが残念だったように思う。混沌としつつ最後は絡まった糸がすっきりほぐれて欲しいのに、絡まったまま終わった感は否めない。書評には「少年時代に寄せる思いと現在の居場所のない感覚とが上手くかみ合っていないのではないか・・」黒井千次評に同感である。高樹のぶ子氏は「・・情けないまでに一人の女を愛し、報われないまま死んだ男への複雑な感情、やるせなさや嫌悪が、かわいたセンチメンタリズムで語られる。自分たちの気取りや流出しかける情緒を、片っ端から自暴自棄でひっくり返していく運び方に、才能を感じる」と評しているが、その面白さが最後まで読み進めた原動力になっていたとも思う。いずれにしても全体的には面白さを感じつつも、開いたままでオープンエンドとなっていること、それが読後のもやもやとなって残ってしまったと思う。では、最後はどう終わって欲しかったか?さびしく死んだ友人、自分より下に見ていた友人から、酒におぼれ、家族を一緒にいることの出来ない現在の自分が何かを感じ、学んで欲しかった。そしてやり直す気持ちを持つ、前向きな終わり方になって欲しかった。直截的な表現でなくて良いのだ。それが読み手に決して世の中捨てたもんではないという思いを持ってもらえるから・・・少なくても自分はそういう終わり方を期待しながら読んでいた。
これで、今回の芥川賞にエントリーされた作品はすべて読んだ。最終的には、自分の好みから言えば「クワイエットルームへようこそ」これが一番良かったと思う。自分にとっての芥川賞を授与したい。ぱんぱかぱーん!