長谷川平蔵巡検

実家へ戻る用事ができたついでに、ふらりと長谷川平蔵関連の地を
巡ってみた。屋敷跡に人足寄場を回るとなると都営線も利用するなと
1000円のメトロ、都営線1日券を購入。
まずは、森下から隣の菊川まで乗車し、長谷川平蔵住居跡へ・・・
 
駅を降りたすぐ傍に確かに住居跡と記されたモニュメントがあった。1200坪あったという
から、この辺り一区画かなぁと周りも歩いてみる。ここは両国橋を渡ってくると30分
ほども歩かなくてはならない場所だが、平蔵が小伝馬町の牢屋あたりから来るとすれば
新大橋を渡って20分か・・・と考えたが、結構江戸時代でも場末の地であったように
思う。丁度江戸絵図 嘉永6年(1853)があったので見てみると、道は現在の新大橋通り
のように新大橋から直線では無く、小さな運河を挟んで入り組んだ地形に見える。
当時御家人は家禄の他に、持っている地所を町人に貸し与えて収入を得ていたというから
多分1200坪のすべて屋敷ではなかったのだろう。

↑ 左上が両国橋 左下が新大橋(現在は黄色い位置になっている) 丸く囲んだところが平蔵の住居近辺
次の目的地は、大江戸線で月島で降り人足寄場のあった佃島近辺へ・・・
 
掘割りの水面に江戸情緒を感じ、老舗の佃煮やさんの建物にうっとりしながら
長谷川平蔵の作った人足寄場跡に建つ灯台を見つける。
ここから見ると、寄場に集まって数年を過ごした人々がどのように向こう岸を見ていたのか
思いにふけることができる。
 
隣の佃島には住吉神社があるが、謂れを調べてみると徳川家康を本能寺から助けたという
ことで摂津国佃村の漁民が江戸に招かれてここに住み、大阪の住吉神社を分社したそうな。
 
帰りは疲れたので有楽町線で銀座に出て、京橋のタリーズでコーヒーを飲む。
さて、帰ろうかと日本橋に来ると昼過ぎから猛烈に強くなった風のため東西線がストップ。
仕方なく都営を使って本八幡まで出て帰宅・・・
なかなか楽しい長谷川平蔵巡検であった。