読了98 遠藤周作『夫婦の一日』夫婦の一日 (新潮文庫)作者: 遠藤周作出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2000/02/29メディア: 文庫 クリック: 3回この商品を含むブログ (3件) を見る

キリスト教を信ずる作者ならではの夫婦観がにじみ出ている作品集
である。こうして読んでいくと遠藤周作キリスト教に救われながら
キリスト教を信じる自分に苦悩してきたのだなぁとつくづく思う。
同じキリスト信者である妻が度重なる不幸を嘆き占い師にみてもらう。
そのお告げは凡そ信じがたい行いを強いるもので、鳥取砂丘の砂を
持ち帰り、そこに杭を打ってくることであった。
不条理な愚行と受け入れない主人公に、哀願を繰り返すばかりの
妻。結局妻の心が安らぐのならと砂丘まで行きながらも手助けを
拒む主人公・・・
自分は信者ではないが、キリスト教を信じるものは神を絶対的な
存在として受け入れ、天地創造を信じなければならない。
この時代にあって進化を否定し、宇宙の存在を信じることこそ
不条理を受け入れることであって、妻が占い師を信じる不条理と
重なって見えてくる。
哲学史を面白半分に読んでいるが、西洋の哲学もまた神を信じること
を不条理としないロジックに頭を悩ませてきた。
懐疑論を唱えるデカルトも「神が存在し、その神が完全であると私は
知っているのだから、私は神を信仰できる」と言わしめ、また数学者
ニュートンですら「最初に残宇宙を創造したのは神あり、宇宙は神が作った
法則にしたがって動いていて、その法則を人間が発見した」としている。
スピノザは精神と物質を分ける二元論を否定する論拠として神が無限である
前提に立って考えた。すなわち神は無限の存在である限り、世の中すべてに
境が無く草も木も精神もすべからく神であると・・・
カントに到っては「感覚器官によって感知できないものの存在は知ることが
できない」と神の存在を証明も否定も出来ないと結論付けてさせいる。
信じるところから出発するか、存在証明自体を否定するかにしろ、哲学する
前に「神」は無視できないものであった。
一信者であるものにとっても、神を信ずることと生きることの間には大きな
溝がある。その苦悩が遠藤作品の根底にあるように思う。