横山大観と近藤浩一路

今日は月初めで国立近代美術館が無料の日であり、横山大観の「生々流転」も
展示され、また、大観の作品と時を同じくして描かれた、異色の水墨画近藤浩一路
《鵜飼六題》(1923年)にも興味がありているのでいそいそと出かける。
近藤浩一路は洋画家として出発し、漫画や挿絵で人気を博しながら、水墨画に転じたという
風変わりな画家だが、そこに描かれていたのは光を巧みに表現する水墨画家としての作品
であった。作品を仕上げるまでに2年鵜匠のもとで生活を共にしたというだけに、描かれた
鵜飼の場面からは精気に満ちた鵜匠たちと鵜が、篝火の中に浮き出ていた。
よくよく目を凝らしてみると、暗闇の中にも鵜匠や鵜が見えるか見えないかという際に
見え隠れするその緊張感たるやすばらしい。また、篝火の明るさの中に籠の輪郭がうっすらと
描かれている写実性にも驚く。篝火の燃え盛る火の明るさは、船や人、鵜たちに注がれ、明暗の
コントラストが遠景になるほど薄らぐ、その境界がなんともいえず美しい。
墨をたっぷりとした水で描いた効果がよく出ている作品である。
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2159
その横には、乾いた水墨をもって描いた1942制作の<碧潭(へきたん)>が掲げられているが
その線の鋭さも、またいいもので両作品を見比べながら、水墨の奥深さを改めて感じた。
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2308
川合玉堂 祝捷日(しゅくしょうび)
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2284
祝捷とはお祝いの日という意味である。1942年の作品なので戦勝を祝う村の一場面を描いた
ものであろうが、玉堂らしい上品で優しい眼差しで観た田舎の祝捷風景である。
玉堂の絵を見ていると土の匂いが感じられ、じつにほっとする。
横山大観 満ち来る朝潮 1943
西洋美術館にあるクールベの「波」を思わせる力強い作品である。これ大観なのか・・
と思ったが、クールベほど荒々しくなく、どことなく自然を賛美するかのようなごくごく
平凡な波の打ち寄せる様相をモチーフにしているあたりが大観なのかな・・と思い暫し眺む。
たぶん大観の愛した地 五浦の海岸を描いたのではなかろうか。
●版画のコーナーには、会いたかった川瀬巴水の作品があった。「東京十二題」より 戸山の原
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=5760
丸い月を配し枝葉のすべて落ちてしまった大木が描かれている。季節は冬、月の高さからは
夜の9時頃なのであろう。寒々とした木に柔らかな月光が降り注ぐ戸山の原。巴水の版画の
魅力が出ている作品だ。隣を見れば伊東深水の「信濃十景」より小諸路の暮雪、さらに隣は
畦地梅太郎 八ッが岳からの富士(冬) と、冬をたっぷり堪能・・・冬もいいなぁと思う。
横山大観
1F特設ギャラリーでには、全長40mの画巻《生々流転(せいせいるてん)》を観る。2年ぶり
の展示だけにじっくり観ておこうと何度も往復する。大気中の水蒸気からできた1粒の水滴が川を
なし海へ注ぎ、やがて龍となり天へ昇るという水の一生を水墨で描いた作品とは知っていたが、
その大きさに圧倒された。40m大観とともに歩めば、一筋の水流が渓谷を下り、緩やかな水面を
見せ、支流が集まり大河となり海へと向かう中に、鹿、猿、人々、鳥といった生き物だけでなく
岩、木、砂と様々な自然があり、大観ののスケールの大きな自然観や人生観も強く感じただただ
描かれた世界に見入ってしまった。最後に水は竜となり天に昇ろうとする姿が描かれているのだが
今の文明社会にあっては、もはや竜は天に昇ることもなくなってしまっているのだなとそんなこと
を考える。
観終わって外へ出ると霧雨が降っていた。雨に濡れながら竹橋の駅まで歩いた・・・