国立近代へ・・

月初めの日曜は無料なので、久しぶりに国立近代美術館へ行く。
今日もまたなかなかいい作品と出会うことができた。
新海竹太郎 ゆあみ 1907 ブロンズ
作者は近衛騎兵出身で軍務の傍ら作った馬の彫刻で注目されたというから
面白い。ドイツへ留学して彫刻を学んでいる。作品は明治40年の石膏作品に
ブロンズの仕上げをしたというが、西洋風の理想化された体型でありながら
髪型は古風なものになっており、和洋折衷の美がうまく調和している。
湯を自分の体にかけている姿だが、なんともいえない健康的な色香が感じられる。
明治40年のころの日本人の体型はずんぐり体型だったろうに、その当時にこの姿を
美として作品を仕上げているのにも驚かされる。
十亀広太郎 顔 1914 油彩
この作品をはじめてみたが、しばらく目を向けたままになっていた。
向こうもこっちをじっと眺めているようで、どちらが絵の中にいるのかなんて
思ったり・・・いや、自画像を描こうと自分を見つめている自分なのかとも思えたり
一度見たら目が離せなくなってしまう不思議な力を感じた。

小磯良平 肩掛けの女 1929 油彩
カリジャティ会見図 1942 油彩
小磯作品を二つも見ることができて嬉しかった。小磯の描く人物の光と影は実に繊細で
いつみてもすばらしい。「肩掛けの女」を調べていたら、オークションで2500万円の
値がついたニュースを見つけた。
http://www.shinwa-art.com/journal/20080725_20/20080725_20_top10.htm

上村松園 雪 1942 彩色 絹本
降り始めた大粒の雪が描かれている。ただそれだけなのに福田平八郎の「雨」と同じような
感覚をよみがえってくる。普段見慣れていながらも、時にはっとさせられる自然が切り取られて
ここにあるのだろう。傘に降る雪ひとつを見るだけで、その情景に自分をおくことができる。
これは見ないとわからない感覚であり、そこにこの絵画の存在価値があるのかもしれない。
あまたある絵画ひとつひとつの存在価値は見るものによって見出されるのだろうが、その意味において
この作品はまさに自分にとって価値のある作品である。