お別れ

友人の葬儀に行きました。亡くなった友人の顔は本当にきれいでした。
まるで寝ているようだという形容どおり、昔から鼻をつんと高くしていた
色白の美人さんそのままだったのに驚きました。
亡くなった方のお顔をこんな思いで拝んだのは生まれて初めてだったので
不思議な思いでした。
お別れに一緒に行きたくて、何人かの懐かしい顔ぶれに知らせたので、帰りは
急ごしらえの同窓会にもなってしまいました。亡くなった友人の引き合わせだねといいながら
夜中まで思い出を語りました。
この日、どんな本よりも、どんな映画よりも心を揺さぶられた日はなかったかもしれません。
思い出を語り合うたびに、昔の自分が自分の中から飛び出してくるような錯覚を覚えました。
自分にとって、この頃の友は特別な存在なのだということが、帰り一人になって思ったことです。
今日語られた思い出は、それぞれがそれぞれに強く印象に残っていたもので、それぞれの思い出自体
まるで懐中電灯で当てたところだけを覗いていたような断片であったようです。
互いに重なり合う光の輪もあり、自分だけ残っていた光の輪もあり、それらの記憶を再構築して思い描く
それぞれの「昔像」は、みなそれぞれだったようです。
それでも、共有した時間と空間の中の思い出を出し合うことで、自分だけが照らしていた昔像の周りにも
光が当たり、忘れ去っていた暗黒の世界やうすぼんやりだった世界が見えた喜びは、何物にも代えがたい
懐かしさになっていました。
昔の自分を「変わっていたやつだった」「変なやつと思われていた」と思い込んでいた自分にとっては、
思い描いていた自分の姿とは違った「自分像」を友が描いていたと伝えられ、ほっとしたような、嬉しいような
不思議な感覚に陥りました。
実際にあったことの多くが、忘れ去られ、忘れた去った自分を思い出す。これも自分探しだなぁとしみじみ
思った時間でした。そんな時間をくれた、亡き友に合掌・・・