モーツアルト 弦楽四重奏 第3夜♪

モーツアルトハイドンのロシア弦楽四重奏に感銘を受けて作曲し
ハイドンに献呈した6曲「ハイドンセット」は、1782年暮から1785年初め
という3年にかけて作曲されている。今までのミラノ四重奏16歳、ウィーン四重奏
17歳のように6曲を一気に書き上げてしまうようなことが無かったのは、かなり
モーツアルト自身も苦心をしていたようで、前半3曲には多くの修正が自筆譜に残されて
いたことからもわかる。
最終曲を書き上げた次の日には、ハイドンに6曲を演奏して聴かせたりしているのは驚きだが
それから一月後に父親がウィーンにやってくるや、またハイドンに後半3曲を自宅に招いて
聴かせている。その時の演奏には到着した次の日にもかかわらず乳レオポルトモーツアルト
も演奏者として参加している。その日にハイドンは乳レオポルトに向かって「私は誠実な人間
として神に誓って申し上げますが、あなたの御子息は私が個人的に知っている、あるいは名前
だけ知っている作曲家の中で、最も偉大な人です。御子息は趣味が良く、その上、作曲に関する
知識を誰よりも豊富にお持ちです。」と語ったというから、ハイドンもこれらの作品群を高く評価
していたのだろう。こうして、影響を与えてくれ、高く評価してくれたハイドンに6曲が献呈される
こととなる。